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和のボイトレ初体験 [<お稽古日誌>]

ちょっとご縁を頂戴して和のボイトレを初体験してきた。楽しかった〜!
私が普段愛用しているYメソッドにのっとっている部分もあって馴染みやすかった。

息継ぎの仕方はジャズ・ボーカルとはちょっと違っていた。
和の方は鼻で瞬間ちょっと吸うぐらいらしい。
えええっ!
思わず、それでは花粉アレルギーなどで鼻が詰まったら困っちゃいますねといってしまった。
声の出し方や姿勢他、やっぱり和でも洋でも意識するところは一緒なことがわかってよかった。

自分的には最近体が楽器という視点に立って見たら、
すごく声の出し方とか意識がかわったところがあり、
あ、去年より声の出し方変わったかもと思った。

あと、唄ってみて思ったのは、
それぞれの音楽ジャンル独特のメロディーや伸ばす長さ、リズムがあり、
それに沿って唄っていると、そういうメロディを歌うのに向いた筋肉のつき方になっていくということだ。
(極端にいえば、話す母語によっても違う。普段の食生活も関係する。英語は無声音のみの発音も多いから、腹筋を使って空気を押し出すことが多いし、舌の動きも多い。また、固い肉を食べることも多くて顎の動きも発達している。オペラ等外国語の歌を上手くなるために現地で生活するのは、現地語を話し(またそれを聞くことで体のリズムがシンクロする)、現地の食事をすることで、その言語で歌うのに相応しい筋肉・耳・身体が育成されるのに違いないと思う。)

長唄だと、結構低いところから一気に高いところにあがる部分もあり、
それはジャズだとちょっと難しい部類の曲に入るのだけれど、
長唄だとそれが当たり前のようにでてくる。
でジャズだとミックスボイスをいれたりして、裏声にもっていきやすくするけれど
長唄だと一気に上がるから、声帯を瞬間的に筋肉がしめる感じだと思う。

いきなりギアチェンジする感じ?でも長唄系でも伸ばしているときにミックスボイスにする部分ってあるのかもしれない。この辺はもっと深くやってみないとわからない。
とりあえず、経験知をきちんと理論的裏付けをしつつ分析的に見ると
仕組みが見えて、何が機能していなくてこれができないのかというのがわかる。
その意味で声についての理論書を読むことは正しいと確信する。
後発でスタートするものの場合、経験的に身につけるには圧倒的に時間が少ない分、
理論的にもっとも効率の良い練習法を見つけるのは必須だろう。
(私の場合、異なった言語の音声・発話、喉の使い方、息の使い方による音声変化について
一般人よりは意識的であったのでその分、多少は有利なのかもしれないと思う。)

また、ジャズ・ボーカルだと、言語が英語なので、単語のシラブルや無声音が多い分、
ひとつの母音だけをずっと伸ばすことは和の唄に比べて少ない。
一方長唄だと、母音を同じ音で同じ声の太さで長く伸ばす。
(今度、日本語の場合の子音+母音の発声の仕方に注意して聞いて見ようと思う。
ジャズ・ボーカルにおいて、日本人が歌うとき、日本的な発音になるのは
子音と母音の分離の意識が足りないからなのだけれど、長唄や清元の場合はどうなのだろうか?)
とすると、筋肉的には一定の位置でキープ出来る持続力が必要だということになる。
そういう風に唄って鍛えられた筋肉の付き方はきっとジャズ他他のジャンルのそれとは違ったものになるはずだ。
長距離だけ走っている人の筋肉と短距離走っている人の筋肉のつき方異なるように。
(八代亜紀さんが、ジャズを歌っているけれど、やっぱりジャズ・ボーカリストが歌うジャズとは違う。それは培われた演歌の発声方法によるからだと思う。しかし、それが独特の雰囲気を醸し出すのでもあり、その人なりの歌でそれはそれでよく、聞く人の好みに合えばよいのだと思う。)
それぞれのジャンルごとに声が違う理由が自分なりに推測できて良かった。

ということは、役者の演技も同じで、
舞台で2時間長丁場の芝居をする人と映画などでワンカット5分とかの長さの中で台詞をいう人とでは
声帯他、身体全体の筋肉のつきかたが違うはずだ。

この考えで行くと、やっぱり歌舞伎の人は歌舞伎の演技者としての自分の身体が固まるまでは
あまり現代劇やテレビドラマや映画にでない方がよいのではないかと思う。
発声の仕方が違うだけでなく、発声の仕方の違いから作られる根本的身体の違いというのがあるから、
台詞回しを表面だけ真似ても、その発声はうわべだけのものになり、腹からでていないことになる。
某若手役者さんはミュージカルなんかでも活躍しているけれど、
それは歌舞伎役者としてはマイナスになるかもしれないなと思う。
器用でどんな芝居もできるのだとしたら、それは体が固まっていない証拠であり、
柔軟であるということは決してよいことではないのではないか。
また、ある役者さんの声がいつまで立っても喉の上の方の発声で、
腹からの声になっていないのは、そういう風に体が作られていないからだと思う。
また台詞回しは表面的な長短、高低ではなく、発声そのものの要素が重要だけれど、
たぶん、その部分を聞きわける耳ができていないのではないかと思う。
聞き取る耳が出来ていないと真似もできない。
(物まねの人は、真似の対象となる人の細かな声のピッチや音の長短など、普通の人には聞き分けできない微細な点まで聞き取る耳を持っているのだ。
こういう人たちが英語の歌なども上手く真似してしまうのは、おそらく、音そのものを細かく微細に聞き分ける耳を持っているためだと思う。)

もちろん、私のように異ジャンルのものをやることで違う視点を得て
それがプラスになることも否定できないけれど。

で・・・私、長唄とジャズを並行してやったら、そのうち、長唄っぽいジャズになるでしょうか?
とりあえず、今日習ったことはジャズにも活かせそうなのでした。

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