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理想の1本 [<着物>]

先月の「茶の湯展」ではいつもお世話になっている帯〆屋さんも出店していて、
天目茶碗と私の好きな義政の愛した「馬蝗絆」のオマージュとして帯締めが作られていて
とても雰囲気を良く再現していて感心したものである。

そのとき、ずっとこういうのが欲しいと思っていた帯締めが売られていた。
黄丹色の奈良組の帯締めで、組み合わせてある色が私の理想とぴったりだった。

帯締めはゼロからつくってもらうのはなかなか難しいところがある。
以前1度別の帯締め作家さんにお願いして失敗している。
というのは、糸は染料が同じでも釜が違えば同じ色に染めあがることは少ないし、
また糸のままと組んだ後では光沢が異なり、
イメージ通りにはできあがらないことが多い。
(同じ糸でも組み方で陰影が異なり、明るく見えたり、暗く見えたりする。)

絶対淡いオレンジ色の帯締めでなければだめだと思う帯があって、
それにはどういう帯締めが合うのかずっと検討していた。
オレンジ一色ではなく、模様の帯締めにしたかったけれど、
その合わせる一色が思いつかなかった。

それで「茶の湯展」で出会ったというわけ。
ほとんどその場で買いそうになったけれど、
このお店の帯締めは本店でお店の人とゆっくり話ながら買う習慣だったから、
なんだか催事場で慌ただしく買うのがためらわれ、
また多くの人の手に触れたであろうことを思うと、さらにためらわれ、
きっと同じものが本店にいけばあるだろうとそのときは断念した。

で、後日伺ったら、それはなくて、
展示が終わったら戻ってくるだろうといわれ、またしばらく待った。

それで今日伺ったら、やっぱりそれはなかった。
過去頒布会のために作られたものなら、糸の色の組み合わせが控えてあるのだけれど
そうでなく普段作られたものはそのとき限りの組み合わせで記録には残していないそうだ。
毎月の頒布会以外のものは一期一会というわけ。

どうしてもあきらめきれず、記憶を頼りに新たに作ってもらうことにした。
色の組み合わせは大体わかっているので、
8本の色の組み合わせで、黄丹色が3、あと5本をどういう色で組み合わせるか。
実際に作っている方も2階から降りてきて、一緒に見てくださった。
2色候補があったけれど、一方はコントラストが強すぎてしまう。
私のイメージは透明感のある色遣いだったので、ワントーン薄い方にした、
本当に微妙な色の差なのだけれど、印象は全く異なってしまう。

仕上がるまで1ヶ月半ぐらい。
長年欲しかったものがやっとやってくる。
(ここまでに3年かかっている。)

帯締めを新調するのは1年ぶりぐらいだろうか。
帯締め屋さんもおじいちゃん店員さんがやめてしまってから
今一つ魅力を感じなくなって、ちょっと足が遠のいていた。
お店というのはやはり人で持っている部分もあるなぁと改めて感じた。
おじいちゃん店員さんと、ああでもない、こうでもないとやりとりした時間は宝物だ。
歌舞伎にしても、こういう商売にしても、長年の経験の蓄積は失われてしまったらおしまい。
歌舞伎もあぶらがのった役者さんたちをたくさん失って今、魅力がなくなってしまって、
以前みたいになんとしてもいかなくちゃ・・・という感じではなくなっている。
今月なんか、ここは明治座?演舞場?みたいな芝居だったし・・・


それに帯締めもかなりの本数が揃った。
ちょっとしたコレクションで、見ているだけで楽しい。
手に入れたときの店員さんとのやりとりの光景が目に浮かんでくる。
1本1本に思い出がある。
愛着はそういうプロセスを経て生まれてくるのだろう。

ネットでの購入はよほどでなければ、ポチッと押す行為があるだけで、
結局ゼロの数には違いがあっても日常品のアマゾンでの買物との違いはない。
場所と人とのやりとりは私の経験として心に刻み込まれ、人生の一部となる。
私にとって着物は特別な時間のものとして大事なものなので、
ネットで安易に買うことはするまいと思う。
着物着始めの頃、ネットで京都の小物屋さんから買った帯締めもあるけれど、
買ったときにどういう気持ちだったか、何にあわせようと思って買ったのか、全く思い出せない。
だから、愛着もあまりなくて、とっておくのは合わせやすくて便利という実利的な理由しかない。

このお店以外のものはこの間断捨離で着物先輩方に差し上げてしまって──そう着物断捨離もした、着物、帯締め、帯揚げ、バッグ等々──、それ以外で残っているのは京都の小物屋さんの合わせやすいものぐらいだ。
結局大概足りてしまって特に欲しいと思うことがなかった、
そんな中で久々に欲しいと思った1本。

簡単に手に入るものは愛着も薄い。
ずっとずっと思っていたものがやってくると愛着もひとしおである。
なんでもすぐ手にいれるのではなく、じっくり考えて絶対これしかない!という理想のものを
手にしたときの満足は何にも代えがたい。
旅でも同じ。
すぐ着いてしまう場所にはなんの感慨も生まれないが、
苦労してやっとたどり着いた場所だと達するまでのプロセスがストーリーを生み、
場所に深い意味を添える。
ストーリーとは対象と自分との関係性。
長いストーリーが生まれれば生まれるほど、対象はいっそう自分の一部となる。
(その意味でモノについての物語をこうしてブログに綴ることでモノはよりいっそう私の一部となるのであろう。)

人生も同じかもしれないな。
生まれたときから何も苦労しなければ物語は生まれない。
苦労してsurviveしてこそ、その日の幸せがあり、人生に輝きがある。
そういえば、飼っているハムスターもそうだ。
亡くなってしまったハムスターは1度大怪我をし、さらに腫瘍までできた。
だけど、私の看病と本人の頑張りで寿命まで生き抜いた。
怪我や病気でハラハラしたけれど、だからこそ、忘れられない子となった。
そう思えば、苦労も人生の彩りだと思える。



かつて、まぁいいか、という甘い基準で買物をしていたときは、
まぁいいかというのは妥協点があるということなので、
結局、またそれよりよさげなものを見つけて買ってしまうということが多かった。
特にセールのときはそれが多かった。
でもそれをやめてから、無駄な買物はしなくなった。
無駄をそぎ落とすことは自分の価値感をつきつめていくことでもあるのだなと思う。
(帯締めで失敗しなくなったのは、合わせたいという着物と帯の組み合わせに実際に合わせて買うようにしたから。
このお店の帯締めは個性的でそれだけで存在感があって作品としての価値があり、見ているだけでうっとりする。でもそれに負けて求めてしまうと、その存在感に見合う帯が手持ちにない場合、結局しめる機会がなくなってしまうのである。)


7月の終わりにはできあがるそうなので、今から楽しみ♪

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